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『ジャージー・ボーイズ』は、1960年代にアメリカで一世を風靡したバンド、『フォー・シーズンズ』の成功と挫折を描いたミュージカル。『君の瞳に恋してる』『シェリー』といった名曲に彩られ、演劇・ミュージカル界の世界最高峰とされるトニー賞を受賞、クリント・イーストウッド監督により映画化もされた名作だ。
そんな『ジャージー・ボーイズ』の日本公演を手掛けたのが東宝。
海外のミュージカル作品はどのようにして日本で上演されるのか?
どんな苦労ややりがいがあったのか?作品に関わった4人のキーパーソンに話を聞いた。
※このコンテンツは2018年に作成されたものであり、
社員の所属部署、役職は2018年当時のものです。
S. I.
1993年入社
演劇部 企画製作グループ
プロデューサー室長兼
チーフプロデューサー
映画監督を志望し東宝に入社。2006年に演劇部に配属。ミュージカルを学ぶために本場ブロードウェイで観た作品の中で、最も感動し、日本でヒットすると感じた作品が『ジャージー・ボーイズ』だった。
K. O.
1998年入社
演劇部 企画製作グループ
国際室長
関西支社、ロスアンゼルス支店で映像部門の業務に携わり、2008年に演劇部へ。ブロードウェイをはじめとする海外作品の上演権交渉など、海外窓口を担当。
K. Y.
2009年入社
演劇部 営業戦略グループ
シアタークリエ 勤務
学生時代はサッカー部。スタジアムで観戦時、わずかな人数で何万もの観客を感動させることに魅了され劇場での仕事を選択。シアタークリエの劇場運営や上演作品の営業を担当。
S. A.
2015年入社
演劇部 営業戦略グループ
宣伝室 勤務
学生時代は自らも芝居に取り組むなど演じる側も経験。映画企画部を経て2017年より演劇部で宣伝を担当。
TIME LINE
2006
ブロードウェイ開幕後まもなく日本での上演権交渉スタート。
2015.01
ライセンス管理会社と契約条件合意。演出家に藤田俊太郎氏が内定。
2015.06
主演の中川晃教氏が承認され、契約の最終締結へ。
キックオフ会議にて、プロモーションビデオ(PV)制作や宣伝、営業方法等を決定。
2016.01
出演者ファンクラブ・関係者へチケット販売開始。
2016.02
PV撮影。
2016.04
全スタッフ決定。
2016.06
初演。スタート直後から再演の話が出て交渉に入る。
2017.02
第24回読売演劇大賞を受賞。
2017.07
再演に向けたキックオフ会議。コンサートの実施等を決定。
2018.05
世界初の試みとなる『ジャージー・ボーイズ』コンサートを実施。
2018.09
再演。
2018.11
全国での公演を経て終演。
PROJECT STORY
上演権を得るまでに8年。
国際室の粘り強い交渉が実る。
K. O.
『ジャージー・ボーイズ』のような海外作品を日本で上演する際、最初に関わるのが私たち国際室です。東宝演劇部はブロードウェイにオフィスがあり、社員1名が常駐し、日々情報収集を行っています。『ジャージー・ボーイズ』は2005年秋に初めてブロードウェイで上演され、2006年には私の前任者がすでにプロデューサーと会ってライセンス(上演権)の交渉を進めていました。
ブロードウェイミュージカルのライセンスは、しばらくはその舞台のプロデューサーが握っています。この段階でライセンスですと、レプリカプロダクションと言われる、演出やセットなどブロードウェイと同じものの上演権となるケースが多いです。しかし日本で海外作品を上演する場合、そのままの形では作品の文化的背景が伝わりにくいなど、必ずしもレプリカの方が優れている訳ではありません。
S. I.
たとえば『ジャージー・ボーイズ』の場合、ニュージャージー州という土地で生まれ育つことがどういう意味を持つのか、アメリカ人には常識でも、日本人には説明しないと伝わらないんですよね。
K. O.
そんなわけで私たち国際室は、日本独自の演出による上演を目指して粘り強く交渉を続けました。そうこうするうちに数年が過ぎたのですが、ブロードウェイ作品の権利は、時間が経つとプロデューサーから作家(脚本家、作詞家、作曲家など)に戻ります。そうなるとオリジナルプロダクションから離れて、新たな演出で舞台を作り直すことができます。『ジャージー・ボーイズ』の場合、2014年にあるライセンス会社に管理が移り、日本独自演出でのライセンスも可能になりました。このとき、それまで長く交渉してきたプロデューサーが「日本で上演するならぜひ東宝に」と推薦してくれたようで、その後の話はかなりスムーズに進めることができたのです。とはいえここまで8年かかりました(笑)。
S. I.
ここまできてようやく演劇部の会議にかけ、本当に契約するかどうかを議論することになります。部内でこの作品を一番強くやりたいと思っているのは私だ!という自信があり(笑)、常々アピールしていました。演劇部に来てすぐ、本場の舞台を見ておこうとブロードウェイに行き、実際に観劇して「これは名作だ」とほれ込んだ作品だったからです。
K. O.
逆に、最も慎重だったのが実は私でした。『ジャージー・ボーイズ』は確かに名作ですが、当時ブロードウェイではすでに初演から10年近いロングランが続き、ややマンネリ化してきている様子も目の当たりにしていたからです。
S. I.
結論としては契約することにはなったものの、契約の条件になっているキャスティングが大変でした。まず「主役は主人公であるフランキー・ヴァリと同じ歌唱法ができること」。
K. O.
候補は最初から中川晃教さんしか考えられなかったんですね。正直、この人でアメリカからのOKが出ないと上演できないという状況で、何とかOKをもらうために必死で交渉しました。作曲者であり、作中にも登場するフォー・シーズンズのボブ・ゴーディオは、「ヴァリ役については、自分が確認するので自宅のあるナッシュビルまで来て歌うように」と言っていて、世界中のヴァリがナッシュビルでボブのチェックを受けているのですが、これもなんとか回避できないかと。
S. I.
オーディションの費用負担を、できれば制作予算に回したかったですしね。結局、ゴーディオ側とその都度交渉しつつ、3回にわたって中川さんの歌唱録音映像を見てもらうことで何とかOKをもらうことができました。ナッシュビルに行かずにヴァリ役が決まったのは、世界中のキャストの中でもたぶん初めてのはずです。
K. O.
こうして契約締結したのが2015年。とはいえライセンスが取れたあとでも、本国の許可が必要なことは数多くあります。たとえば、日本独自の演出のために、台本に書かれていない部分の解釈や表現、あるいは台詞や音楽にどうしても変更を入れたい、という場合も出てくる。そんなときには必ず報告をし、その変更がなぜ日本で必要かを、ニューヨーク事務所を通じて逐一説明していました。
こうした交渉は国際室の大きな役目の一つ。日本の制作側が「やりたい」ということも、権利上できないことはできないと言わなければならないし、一方で本国には可能な限り「ここは変えさせてくれ」と説得しなければなりません。なかなか難しい役回りですが、東宝の場合は長年ブロードウェイに事務所を置いていることもあり、顔の見える付き合いを通じて権利者に信頼されているのが強みでした。
S. I.
契約後のプロデューサーの仕事としては、まず演出家選びですね。『ジャージー・ボーイズ』は脚本も音楽もよく、ある程度成功が見込めるため、演出では冒険したかった。そこで注目したのが、ほぼ初演出で読売演劇大賞の新人賞を受賞したばかりの藤田俊太郎さんでした。
演劇作品は
上演回数を変えられない。
だから戦略を決める
「キックオフ会議」が重要。
S. I.
こうして契約が決まり、主演と演出が決まったところで行うのが、主要な関係者が一堂に集まるキックオフ会議です。まずはプロデューサーである私から、『ジャージー・ボーイズ』がどんな作品であり、どんなコンセプトで上演したいかを説明。それを踏まえたうえで、予想される客層を考え、チケットの売り方や宣伝の進め方などを決めていく重要な会議です。
K. Y.
我々営業の仕事は公演の売り上げに関すること全般ですが、ここで初めて作品について詳細を知り、興行的な成功、つまり「売れる」ことを目指してチケット価格や販売戦略を考えることになります。
『ジャージー・ボーイズ』の場合は、アメリカでトニー賞も受賞した強力なコンテンツであり、チケット価格については強気でよいだろうということになりました。とはいえ、どんな作品も初演時の売れ行きは正直読めないもの。そこで、観客のすそ野を広げるためことも必要だと考え、学割チケットの販売と、SNSでの拡散効果が見込める舞台後のトークショーの開催を決めました。
S. I.
学割には「よいものを若い人に見てほしい」という演出の藤田さんの意向もありましたね。
K. Y.
その他の具体的な販売戦略については、キックオフ会議のあと営業分科会でも検討。『ジャージー・ボーイズ』では、今回の公演とは別に事前に海外招聘版(本国でのスタッフ、キャストがそのまま演じる)の上演もあったため、そのときの客層なども判断材料になりました。
S. I.
その分科会でプロモーションビデオ(以下PV)に関して何か今までと一線を画したものしたいと提案しました。海外招聘版では、音楽ファンとおぼしき年配の男性ファンが多かったのですが、これはミュージカルとしては非常に珍しいこと。それなら、この層に訴求できるようなPVを制作しようということになったんです。
K. Y.
キックオフ会議では営業的な視点からキャスティングについても意見を出します。チケット販売を伸ばすにはメジャーな俳優さんを使っては?という意見も出しました。
S. I.
実際、TVや音楽業界等中心に活躍されている俳優さんに出て頂くこともできたと思います。でも今回はどうしてもコーラスの質にこだわりたくて、声質や歌唱力重視で進めることになりました。
K. Y.
プレビュー公演の実施が決まったのもキックオフ会議のときですよね。プレビュー公演というのは、公演の直前に少し安い価格で事前上演をすること。そこでお客様の意見を聞いて内容を微調整し、本公演に備えるのですが、大作感を出す効果もあります。
S. I.
演劇は、売れたからといってあとから上演回数を増やすことができません。劇場のスケジュールも決まっているし、キャストも他作品の出演や稽古があり、何人ものキャストの出演契約も、簡単には期間延長できないからです。ここが上映期間で調整できる映画との大きな違いで、回数の上限が決まっているから、宣伝や販売の戦略を失敗したら回復できない。重要なのは、動き始めの段階でいかに100に近づけるかということで、だから事前の戦略に知恵を絞る必要があり、キックオフ会議が大きな意味を持つのです。
『ジャージー・ボーイズ』は確かに名作ではあるのですが、実は、上演決定前に日本で公開された映画版の『ジャージー・ボーイズ』がそれほどの大ヒットにはならなかったこと、またとにかく初演ではどうなるかわからないということで、決して楽観的なムードではありませんでした。
営業、宣伝、制作。
公演までにそれぞれが
戦略をもって動き、成功へ導く。
K. Y.
キックオフ後の営業担当にとって最初の仕事は上演スケジュール表づくり。これが決まらないとチケット販売ができません。公演数は40回と決まっていたのですが、それを期間中の昼・夜にどう割り振るかを、お客様に足を運んでもらいやすいタイミング、出演者のスケジュールなどを見ながら決めていきます。とくに夜の開演時刻は「仕事が終わってからでも間に合う」「遠方からの観客も終演後に帰宅できる」などの条件を考えて慎重に決める必要があります。
上演スケジュールが決まったらチケット販売スケジュールを立て、団体、出演者のファンクラブ等、会員、一般、プレイガイド販売等で、どの販売ルートにどれくらいの枚数を振り分けるかも売れ方を予測しながら決めていきます。時にはプレイガイドさんが使用できる街頭ビジョンでPVを流してもらう、ポスターの駅貼りをしてもらうといった、通常は東宝にないプロモーション展開を交渉することもあります。
K. O.
制作サイドでは、ここから主役の中川さん以外のキャスト決めに入ります。主演4人のハーモニーが重要で、年齢や声質も合わせる必要があり、権利元の承認を得るハードルは高かったですね。
S. I.
とにかく歌唱力や相性はどうしても譲れなかった。メインキャスト以外のキャストやスタッフは、基本的には演出家の藤田さんの要望に沿った形で、東宝側の意見も伝えながら進めていきましたが、どのキャストやスタッフも、打診すると即答で「やりたい」と言ってくれたのは、やはり作品の力でしょうね。
K. O.
宣伝活動の中で特徴的だったのは、やはりPVの制作でしょうね。契約上は、3分までプロモーション向けの映像を作ってよいことになっていました。
S. I.
これまでのミュージカルはPVを作る場合チラシ撮影現場でのオフショットなどを撮影して使用するのが一般的。でも今回はPVのためだけの撮影をセッティングしたんです。ただでさえ忙しい主要キャストのスケジュールを合わせて収録日を設け、歌もダンスも綿密に稽古し、お客様も入れたコンサート形式で。そして映像に強い共同主催のWOWOWさんに全面協力して頂きました。
K. O.
歌は翻訳前の英語の歌をメドレー形式にアレンジして使いました。編集した映像は3分をちょっとだけ超えてしまったのですが、「素晴らしいものができました!」と、敢えてそのまま送ったらOKが出た(笑)。今振り返ってみてもあのPVはよかったと思います。歌やキレのあるダンスを見せることができ、どういうテイストの作品かを一撃で伝えることができました。
S. I.
このとき作ったメドレーは、のちにWOWOWでの番組出演の際にも歌ってもらいましたね。
K. O.
上演が始まってからは、カーテンコールのときに歌うメドレーにもなりました。
S. I.
本編は、より多くの人に内容を理解してもらうため、歌詞もどうしても日本語に翻訳したかったのですが、『ジャージー・ボーイズ』の曲はよく知られている歌だけに原曲ファンも多い。そういう人に満足してもらう意味でも良いアイディアだったと思います。
K. Y.
チケット戦略でハマったのは学割です。狙い通り、メインの客層とは別に、若い人にすそ野を広げることができました。
そしていよいよ上演が始まると、劇場でお客様をお迎えするのは営業担当の仕事。劇場の営業をやっていてよかったと思うのはまさにこのときです。楽しみにしてくださっているお客様が会場に入ってくるときのわくわく感もですが、お客様が帰った後に残る熱気も何ともいえず感動的。『ジャージー・ボーイズ』でいえばキャストはわずか20人弱ですが、その人数で東京公演だけで延べ5万人の観客の心を動かせたって本当にすごいことだと思います。
公演中に再演決定。
世界初のコンサートで
盛り上げてさらなる成功へ。
K. O.
当初の契約は興行1回分のものでしたが、好調を受けて公演中に再演が決まりました。
S. I.
終演時には、再演すること自体は発表したのですが時期は言わなかったんです。決まっていた再演時期は2年後の秋とかなり先で、間が空いてしまいますからね。ちょうどキャストの間で「このメンバーでコンサートをやれると良いね」という話が出始めて、実現すれば再演までのつなぎにもなると考え、その交渉もスタートしました。
K. O.
交渉の結果、「ストーリーラインに沿った内容であること」「曲順を変えないこと」などの条件は付きましたが、最終的にはOKが出ました。ここまでのやり取りと初演の成功で、ボブ・ゴーディオをはじめとする権利者と、とてもよい関係が築けていたおかげもあったと思います。
S. I.
『ジャージー・ボーイズ』発のコンサートという企画は、世界でも初めてでしたからね!また再演までのつなぎという点では、2017年2月に読売演劇大賞を受賞し、授賞式で初演の主要キャスト7人が集まって歌を披露できたことも大きかったです。
S. A.
コンサートも再演も決まったところでチラシ制作が始まるわけですが、これが僕が初めて『ジャージー・ボーイズ』に関わる機会になりました。チラシの構成はすでにほぼ決まっていて、あとはキャストの撮影のため、カメラマン選びやスケジュール調整、撮影会場の手配、当日の進行役など、実行に関する部分が僕の役割。この撮影会場の手配が結構重要なんです。というのも、再演時のチラシというのはある程度初演時のチラシの雰囲気を踏襲するのがセオリーなんですが、今回はキャストも変わるし、目新しさも出したかった。そこで、初演時のチラシと同じきらびやかな雰囲気を持ちつつ、前回とは違う会場選びに知恵を絞りました。
当時は宣伝室に来たばかりでわからないことばかりでしたが、大事なところで先輩が「スタイリストさんのスケジュール確認した?」「会場に連絡は入れた?」などとさりげなく聞いてくれることで、するべきことを覚えていくことができたと思います。
K. O.
コンサート開催にもリスクはあったんですよ。たとえば「2000席のホールで3公演がちゃんと埋まるのか?」とか「再演の本公演と時期が近すぎて、本公演にお客様が来なくなるのでは?」というように。でも蓋を開けてみたらコンサートは完売。むしろ本公演も早くチケットを取っておかなければ見られなくなる!という空気が生まれるほどで、このときようやく「一流の作品として日本でも定着した」という自信を持つことができました。
K. Y.
あまりにも人気が出てしまったので、再演チケットの割り振りには頭を悩ませました。出演者サイドからのファンクラブ向けチケット割り当ても「足りない」とお叱りを受けてしまったほどでした。
S. A.
こうした状況を受けてその後の宣伝も初演時とは違う手法を取りました。主に宣伝活動を展開したのは、ミュージカルファンの方々からの支持が厚い媒体。すそ野を広げるよりも、本当に見たい人にまずきちんと届けることを意識したのです。
宣伝活動を行う中で個人的に印象深かったのは稽古場でのレポート取材。稽古に入る前の取材と稽古に入った後の取材とでは、当然語られる内容が変化します。稽古に入って具体性を増すキャストのコメントを間近で聞くことは、『ジャージー・ボーイズ』という作品がまさに今つくられつつある、という実感を伴う刺激的な体験でした。
K. Y.
実は今回の再演では、営業としては珍しくグッズにも関わりました。それがカーテンコール用のペンライト。もともとはコンサート向けに発売したのですが、カーテンコール時のみ使用可としてペンライト付きのチケットを販売したんです。するとこれが大人気であっという間に完売。皆さんカーテンコールではコンサート同様盛り上がってくれました。
S. I.
こうした様々な仕掛けが実現した背景には、ライセンス会社も作曲者であるボブ・ゴーディオも、東宝の仕事を高く評価してくれたということがあります。聞いた話では、日本初演のポスターがゴーディオの自宅に貼ってあるらしい。それほど日本での成功を喜んでくれていることは、私たちにとってもうれしいことです。プロデューサーとして、本当に思い出深い仕事になりました。
ブロードウェイ初演から約12年を経て日本上演にこぎつけ、大好評のうちに再演を終えた日本版『ジャージー・ボーイズ』。本国アメリカでの成功を思えば約束された成功だったようにも思えるが、実際は、どう交渉し、どう見せ、どう売るのかを考え抜いた努力によって勝ち取られたものだといえる。
企画、国際、営業、宣伝と、それぞれ担当は異なるが、それぞれの持ち場で真剣に考えることで大きな感動をつくることができる喜びは、全てのエンターテインメントに共通なのかもしれない。